これからの食、ふらり〜との価値

内食・手料理の価値が薄れることはない。むしろより高度なレベルで求められる

これからの食はどうなるのだろうか?例えば日本では、生きていく上で必要な食料を確保することは難しくない。単純に胃に入れる食、というだけでなく、何かしらの付加価値を出していく必要がある。

日常食という観点からその付加価値を考えてみたい。

これからは健康経営・予防医学の意識が向上し、またテクノロジーの進歩により、その人の健康状態や気分に合わせた、より利便性が高く栄養科の高いサプリやソイレントなどが台頭してくる。またコンビニ等で売っている手軽で安い食事を健康的に食べれる組み合わせをレコメンドするサービスなども増えてくると思う。

では内食はどうなるか?価格も安く、利便性も高くある程度以上に健康的なものが外食で完結するなら、内食は不要ではないか、という主張も成り立つ。

 

これに対しては、直感的にわかると思うが、内食・手料理の価値の普遍性はなくならないと思う。

例えばサプリメントやソイレントが台頭したからといって、人は食べることを辞めない。家庭の食卓にサプリメントとソイレントが毎日並ぶということはありえない。またコンビニでもこれからは保存料等を使わないクオリティの高い惣菜等が出てくる可能性もあるが、それでも罪悪感を感じずにそれを毎日食卓に出す人はそういない。一人暮らしならその罪悪感は薄いと思うが、子供などがいる家庭はより強く罪悪感を抱くはずだ。抱かないなら、そもそも現状ですら誰も料理などしなくなる。

そう、内食の価値として、罪悪感の無い食事、その先にあるストレスの無いライフスタイルがより求められるのではないだろうか。

 

※共働き世帯(子供がいない)がどういう生活をしているのか、もっと掘り下げる必要ある。実は平日昼はコンビニ、夜は会食or夫婦で外食、休日は一緒に御飯を作る等で意外と困ってないという可能性もゼロではないため。

 

ふらり〜との価値

それを考えると、ふらり〜との本質的な価値は、「栄養素が取れる食事とか利便性が高いというモノ」ではなく、「帰宅したら手料理が毎日家にある生活というコト」なのだ。つまり食事ではなくライフスタイル、体験を提供している。ランチ時間に毎日コンビニ飯を食べる必要はなくなる、仕事の生産性が上がる。仕事から帰った後お腹が空いたとせがんでくる子供のために急いでご飯を作らなくてもいい、空いた時間を夫婦でゆっくり話す時間にしてもいい、作りおきの全体像をインスタにあげて自慢してもいい。

肝になるのは、「ターゲットユーザーが抱えている罪悪感を解決してくれるサービスが、nice to have程度のものなのか、must haveのものなのか」を検証することだ。結局2000円弱はするので、ランチや自炊等と比較すると決して安いサービスではない。それでもなお、そこに対してお金を定期的に払うほどの解決したい罪悪感か、またどうすればふらり〜とはその価値があると思えるパッケージになるのか、考えなければいけない。孫さんもプロダクトを圧倒的に作りこめ、と言っていた。まさしくこのパッケージを圧倒的に作りこむべし。

高級感ではない、ぬくもりのある、生活に密着していそうなブランディングを意識したい。

➔そして実際に、ではその2000円弱払って罪悪感を解決したい(そもそもこの罪悪感がmust haveになりうるかというのも意識しなければならない)家庭のペルソナ(家族構成、年収等々)を確定し、それはどの程度の母数があり・・・というのを検証しなければならない。